ロジェ・ボナフェ、ベルナール・ガントナー等日本・海外画家の作品は画廊「ギャラリ−藤井」 ロジェ・ボナフェ、ベルナール・ガントナー等日本・海外画家の作品は画廊「ギャラリ−藤井」 ロジェ・ボナフェ、ベルナール・ガントナー等日本・海外画家の作品は画廊「ギャラリ−藤井」 ロジェ・ボナフェ、ベルナール・ガントナー等日本・海外画家の作品は画廊「ギャラリ−藤井」 ロジェ・ボナフェ、ベルナール・ガントナー等日本・海外画家の作品は画廊「ギャラリ−藤井」  
海外で活躍する日本人画家 藤田嗣治の作品です
ロジェ・ボナフェ、ベルナール・ガントナー等日本・海外画家の作品は画廊「ギャラリ−藤井」
お問い合わせはこちらお問い合わせフォーム

お問い合わせ
お問い合わせフォーム
畦地梅太郎 あとりえ・う ホームページ



藤田嗣治



HOME> 日本人作家 >藤田嗣治


ヴァンドーム広場

ヴァンドーム広場
売約済


台所の少女と猫
台所の少女と猫
売約済
[リトグラフ]


窓の前の少女と猫
窓の前の少女と猫
売約済
[リトグラフ]

裸婦

裸婦

売約済


アタラとへシオン
アタラとへシオン

売約済


2人の裸婦
2人の裸婦

売約済

藤田嗣治の作風

藤田嗣治は、エコール・ド・パリ(パリ派)の代表的な画家。フランスで模索の結果たどりついたのが、細い描線と「乳白色」という作風です。

日本画の技法を油彩画に取り入れる独自の技法を編み出してからは、終始美しい描線とわずかな色彩による、極めて独特な絵を描き続けました。猫と女を得意な画題とし、裸婦像に代表される独自の「乳白色の肌」の優美な美しさは、多くの人々の心をとらえ一躍パリの寵児となりました。

現在においても、パリで最も有名な日本人画家であり、明治以降の日本人芸術家で藤田嗣治ほどの成功を海外で収めたものはいません。代表作の多くは海外の美術館に収蔵されています。

画家略歴 藤田嗣治

藤田嗣治
ふじたつぐはる

1886年

東京に生まれる

1910年

東京美術学校西洋画科を卒業

1913年

渡仏。ピカソやモディリアーニ、スーチンらと交友しつつ研鑽を重ねる。やがて乳白色の平滑なマチエールに面相筆による線描を生かした独自の技法を編み出す

1919年

サロン・ドートンヌに入選。会員に推挙される

1921年

サロン・ドートンヌ審査員となる

1923年

サロン・デ・チュイルリー会員となる

1929年

一時帰国

1930年

再び渡仏。1933年までパリを中心に中南欧各地で制作

1934年

二科会会員となり、第21回二科展で特別陳列される

1937年

秋田で大壁画「秋田の行事」(秋田市平野政吉美術館蔵)を完成

1939年

3度目の渡仏

1941年

帝国芸術院会員となる

1943年

朝日文化賞受賞。戦争画も描いたが、戦後は複雑な日本画壇と離別

1949年

アメリカ経由でフランスに渡り定住

1955年

フランスに帰化

1956年

カトリックの洗礼を受けてレオナルド・フジタと改名。晩年はランスのノートル・ダーム=ド・ラ・ペ礼拝堂の設計、壁画制作に没頭。またガラス絵の制作に傾注した

1957年

レジオン・ドヌール勲章受章

1959年

ベルギー王立アカデミー会員となる

1968年

チューリッヒで没。享年81歳


前のページに戻る             画面の上に戻る