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![]() 裸婦 売約済 |
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藤田嗣治の作風
藤田嗣治は、エコール・ド・パリ(パリ派)の代表的な画家。フランスで模索の結果たどりついたのが、細い描線と「乳白色」という作風です。
日本画の技法を油彩画に取り入れる独自の技法を編み出してからは、終始美しい描線とわずかな色彩による、極めて独特な絵を描き続けました。猫と女を得意な画題とし、裸婦像に代表される独自の「乳白色の肌」の優美な美しさは、多くの人々の心をとらえ一躍パリの寵児となりました。
現在においても、パリで最も有名な日本人画家であり、明治以降の日本人芸術家で藤田嗣治ほどの成功を海外で収めたものはいません。代表作の多くは海外の美術館に収蔵されています。
画家略歴 藤田嗣治
藤田嗣治 |
1886年 |
東京に生まれる |
1910年 |
東京美術学校西洋画科を卒業 |
1913年 |
渡仏。ピカソやモディリアーニ、スーチンらと交友しつつ研鑽を重ねる。やがて乳白色の平滑なマチエールに面相筆による線描を生かした独自の技法を編み出す |
1919年 |
サロン・ドートンヌに入選。会員に推挙される |
1921年 |
サロン・ドートンヌ審査員となる |
1923年 |
サロン・デ・チュイルリー会員となる |
1929年 |
一時帰国 |
1930年 |
再び渡仏。1933年までパリを中心に中南欧各地で制作 |
1934年 |
二科会会員となり、第21回二科展で特別陳列される |
1937年 |
秋田で大壁画「秋田の行事」(秋田市平野政吉美術館蔵)を完成 |
1939年 |
3度目の渡仏 |
1941年 |
帝国芸術院会員となる |
1943年 |
朝日文化賞受賞。戦争画も描いたが、戦後は複雑な日本画壇と離別 |
1949年 |
アメリカ経由でフランスに渡り定住 |
1955年 |
フランスに帰化 |
1956年 |
カトリックの洗礼を受けてレオナルド・フジタと改名。晩年はランスのノートル・ダーム=ド・ラ・ペ礼拝堂の設計、壁画制作に没頭。またガラス絵の制作に傾注した |
1957年 |
レジオン・ドヌール勲章受章 |
1959年 |
ベルギー王立アカデミー会員となる |
1968年 |
チューリッヒで没。享年81歳 |
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