狐と葡萄 [マニエール・ノワール] |
花束と金魚鉢 [ポアント・セッシュ] |
![]() クリスマスの木靴 [ポアント・セッシュ/手 |
![]() ジゴンダ古村の礼拝堂 売約済 [ポアント・セッシュ] |
サン・ジミニャーノの風 [ポアント・セッシュ] |
![]() 木の葉の上の魚(鮒) [デッサン] |
![]() レ・ボウの風景 [ポアント・セッシュ] |
長谷川潔の作風
長谷川潔の版画家としての出発点は、描くこと、彫ること、摺ることをすべて自分でおこなう「創作版画」の手法で制作した鮮烈な白黒木版画でした。そして、さらなる探求心をいだいて、銅版画技法を修得するために27歳でフランスに渡り、1925年(大正14)、途絶えていた「黒の技法」マニエール・ノワール(メゾチント)と呼ばれる古い版画技法を復活させ、高い評価を得ました。その後もオー・フォルト(エッチング)、ポアン・セッシュ(ドライポイント)、アクアタント(アクアチント)、ビュラン(エングレイビング)等のあらゆる銅版画技法をマスターし、風景、草花、静物などを主題とする版画を制作しました。1980年(昭和55)に89歳で没するまで、一度も帰国することなくフランスで活動しました。晩年にふたたび取り組んだマニエール・ノワールによる静物画は、東洋と西洋を超えた長谷川の芸術そのものを象徴しているかのようです。
画家略歴 長谷川潔
長谷川潔 |
1891年 |
神奈川県久良崎郡(現神奈川県横浜市)に生まれる |
1911年 |
葵橋洋画研究所、翌年に本郷洋画研究所にて黒田清輝や岡田三郎助ら師事 |
1913年 |
日夏耿之介らの同人誌「聖盃」の表紙を担当。この頃より銅版画の制作を始める |
1916年 |
広島晃甫、永瀬義郎ら共に最初の版画グループ「日本版画倶楽部」結成 |
1917年 |
堀口大學の詩集の装丁・挿画を多数制作 |
1918年 |
銅版画技法習得のため渡仏 |
1923年 |
サロン・ドートンヌに油絵を出品。パリ画壇デビューを果たす |
1924年 |
R・デュフィの勧めでソシエテ・デ・パントル・クラヴール・アンデパンダン(独立画家版画家協会)に入会。 |
1925年 |
パリのヌーヴェル・エソール画廊で版画による初の個展を開催 |
1927年 |
仏蘭西現代美術展出品 |
1930年 |
「航空と美術」国際展(パリ)に銅版画出品、航空大臣1等賞獲得 |
1935年 |
フランス政府よりレジヨン・ドヌール勲章授与 |
1937年 |
パリ国際大博覧会「美術と技術」展に招待出品し、金賞牌を獲得 |
1939年 |
第二次世界大戦が勃発。サルト県の斎藤豊作氏邸に疎開する |
1945年 |
在留日本人として収容所に収監されるが、有力者の尽力により約1ケ月後に無事解放される。 |
1964年 |
フランス芸術院通信会員推挙 |
1966年 |
フランス文化勲章受章 |
1967年 |
日本から勲三等瑞宝章を授与される |
1972年 |
フランスの国立貨幣・賞牌鋳造局において、葛飾北斎、藤田嗣冶に次ぐ、日本人画家として3人目として、長谷川潔の肖像を浮き彫りにしたメダルが発行される |
1980年 |
京都国立近代美術館で大回顧展「銅版画の巨匠・長谷川潔展」が開催 |
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